まず「知識」。「考える力」は そのあとで十分①

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     数年後、大学入試を中心に「自ら考える力」を新基準としての改革があります。それに対応して「大変な時代になります」という趣旨の記事などを目にしますが、個人的には懐疑的な立場で考えています。
     その理由の一つは、かつて「個性教育」→「ゆとり教育」→「脱ゆとり教育」という数十年の流れにおいて、小さな変化はありましたが、決定的な変化は起きませんでした。すなわち「十分な学力があれば、それに応じて納得のいく進路に到達できた」ことが挙げられます。
     そして、もう一つ(こちらが重要です)「考える力を身につける」というのは、教育の範疇においては「最終目的」に近いことであり、これを合否基準の中心に設定するのは、かなり無理があると思うからです。
     極端な例で示しますが、子どもを集めて「みんなで考えて、次の野球の試合に勝とう」と言っても、勝てるものではありません。まず、指導者の責任としてルール、攻撃、守備の基本を教えて、試合の形になるのに3年、更に配球、走塁、戦術といった技術を身につけるまで3年ぐらい要します。
     このあたりから自分でいろいろ工夫する子どもが現れますが、彼らが求めるのは「もっと高いレベルで指導してほしい」ということになります。すなわち「知識↓経験↓知識」という繰り返しで上達していきます。
     この「知識、経験」というのは時間をかけてじっくり教えるべきことであり、教育としての根幹の部分と考えます。
     その点を軽視して、いきなり「考える力」を要求するのは、子どもにとって気の毒かと感じるのです。

    【おかあさん、深呼吸しましょう 第124回】
    シティーメイトH28.08月号掲載
    北神進学教室 TEL 078-951-7772

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